飲食店を辞めて「地域おこし協力隊」へ転職!どういう経過をたどったのか?「地域おこし協力隊」になるまでの体験談

飲食

早速ですが「地域おこし協力隊」はご存知ですか?

 

地域おこし協力隊

地域活性化を目的として、地方自治体がそれぞれ数名〜数十名を募集する。3年の期間は報奨を与えられ、地域協力活動に従事しながら仕事をする。4年目以降はその土地に定住して生活をしていく。

 

私は飲食店を辞めて「地域おこし協力隊」に転身をしました。現在、九州のある市町村で3年目を迎えています。今年で報奨がなくなるため、独り立ちする4年目に向けて準備をしているところです。

 

  • 地域おこし協力隊に興味がある
  • どういう過程でなるの?

といった方に参考になるよう記事を書いて参ります。

 

平均睡眠3時間!激務だった飲食店時代

大学を卒業して選んだのは不動産会社の営業です。設立間もないベンチャー企業で、事業用店舗を主に扱う不動産会社でした。

 

飛び込みや電話営業で新規顧客を開拓しながら、契約を希望するテナント会社と交渉、店舗入れ替えの仲介をしていました。その後、会社が新たに飲食事業を始めることになります。営業マンとして入社したはずが、新規店舗の立ち上げを任されることになります。いつの間にか、飲食店へと転身。3種類の飲食業態を計5店舗立ち上げました。正社員やアルバイトの募集、原価率の計算、経理など仕事全般を行っていました。

 

店舗を起動に乗せて後任に譲り、私は他の新規店舗を立ち上げ、この繰り返しです。いつの間にか新規立ち上げのプロフェショナルになっていました。そして、会社の立ち上げスピードは加速していきます。たった1年で5店舗をオープン、担当するのは全て私でした。

 

忙しすぎてまわらなくなり、スタッフとして入ることも多々ありました。スタッフからの報告、相談の電話は朝から深夜まで続きます。常に仕事があるため睡眠時間は毎日3時間。土日の休みも仕事で全て潰れていきました。

 

「忙しすぎて…もう無理です」と社長に直談判しましたが、見事に跳ね除けられました。それどころか、翌年は出店スピードがさらに加速していきます。過労で倒れてしまい、そのまま退職することになりました。倒れたのにも関わらず、開放された喜びのほうが大きかったです。今振り返ると異常な状況ですね。

 

悶々とした日々…思い切って地域おこし協力隊に応募する!

退職して仕事から開放されましたが、精神的にも肉体的にも疲れ切っていました。「次はどうしたいか?」それすらも分かりません。考えられません。それでも生活費が必要なため、派遣やコールセンターでアルバイトをする日々。しかし、2ヶ月もすると冷静になっていきます。

 

  • 「アルバイトしている日々で良いのか?」
  • 「自分がやりたかったことは何なのか?」

 

ピンときたのが「地域おこし協力隊」でした。田舎で育った私は、年々と過疎化していく地元に寂しい思いをしていました。高校生の頃に「地域活性化」「まちづくり」を仕事にできないか、と考えたのを思い出します。

 

いろいろ調べた結果、「思い切ってチャレンジしよう」と決心。インターネットで募集している市町村一覧からピックアップして応募。1ヶ月後、九州の市町村に採用が決定しました。地元に近かったため、両親からも喜ばれたのを思い出します。

 

地域おこし協力隊に転職してどうか?

現在3年目を迎えています。地域おこし協力隊は3年間限定の仕事のため、4年目からは個人事業主として、飲食店と不動産を掛け合わせた仕事を行おうと計画しています。

 

あれだけつらい思いをしたのに、同じことをやるのは皮肉なものですね(笑)あの時の経験が今になって生きるとは思いもしませんでした。不動産営業、飲食店マネージャー、広告営業。様々なジャンルで働いてきましたが、働いていた当初は「何の役に立つんだろう?」と感じる仕事でも、経験値として身体には染みついています。どんな仕事でも巡り巡って役に立つ時が来るもんだな、と考えさせられます。

 

地域おこし協力隊制度ができてから10年経ちます。まだまだ、受け入れ体制が整っておらず、行った先で苦労する方も多いと聞きます。私の場合も苦労したことはもちろんありますが、それでも地域の方が温かく受け入れてくれ、そして次のステップのサポートをしてくれます。

 

また、地方に住んでいると生活費が安くすみます。遊びでお金を使うこともなく、金銭面での不安はほとんどありません。休みもしっかりとれます。前職のように深夜まで働くこともありません。自炊したり、勉強したり、自分の時間がとれるようになりました。田舎に住んでいることもあり健康的で安定した生活ができていると感じます。