9年間地方の新聞社で勤務していました。整理部の整理記者として。
「整理記者?」「普通の新聞記者とはどう違うの?」という人のために説明すると、整理記者は新聞の紙面をレイアウトするのが仕事になります。
他社では「見出し(新聞記事のタイトル)」を付ける専属の担当がいるところもあります。ですが、私の勤めていた新聞社では紙面レイアウトから見出しをつけるのも整理記者の仕事でした。
記事の要点を少ない文字数で説明する必要があるため、読解力が要求される仕事です。また、紙面のレイアウトにおいて最も重要なこととして、記事の優先順位付けがあります。
誰でも分かるぐらい重要なニュースがある時ならともかく、そうでない平穏な1日の場合や順列付けに迷う複数記事がある場合は整理記者の判断が問われます。これについては、自身の一存では決めきれず、デスク(紙面全体の責任者となるベテラン記者)の判断を仰ぐこともありました。
地方新聞記者の給料
新聞社勤務となると「高給取りだったんでしょう?」とよく言われるのですが、社によって事情は異なるというのが本当のところです。
他社(他紙)では平均より高い給与が支払われていたようです。ですが、私が勤務していた新聞社は経営難で薄給でした。そのため社内の士気も決して高くはなく、県外他紙やローカル局、情報誌などの他業種に転職する人も少なくありませんでした。
そんな中で私が勤務を続けていたのはこの職業に対する使命感、というと綺麗ごとに聞こえるでしょうか。内実としては前述した県内他紙の報道姿勢に対する不信感や敵愾心に近いものがありました。
整理記者と残業
この仕事は残業が当然のごとくあります。さらに取材記者に関しては残業という域をはるかに超えて、家に帰れないことが日常茶飯事です。傍で見ていて「いいから帰って風呂入って寝てくれ」と思うこともしばしばでした。
ですが、整理記者に関しては残業にも限度があります。それは印刷と配送に関して明確なデッドラインがあるからです。いくら良い紙面を作るためにギリギリまで粘っても、それを当日早朝のうちに配達できなかったら新聞としての信用度はガタ落ちします。
ですから、「この時間までに紙面の製作を終わらせれば県庁所在地の中心地区にある新聞販売店への配送が間に合う」ところで残業は終わりになります。それまでは、配達エリアに応じて版を差し替えていきます。印刷と配送の関係上、印刷所から遠い配達エリアへ送られる新聞ほど〆切が早いため古い情報が掲載されることになります。
選挙の日は徹夜で仕事
そんな中で、例外的に多少の配送遅れがあったとしても、大目に見られるのが大規模な選挙(衆院選・参院選・統一地方選など)の時です。より最新の開票状況を紙面に掲載するべくギリギリまで紙面の差し替えが行われるため、整理記者は夜明けまで仕事をする覚悟で臨みます。
残業のための夜食や飲み物を多数用意することもあり、こういう日の整理部はちょっとした祭りのようでもありました。
記事が足りない…そんな時は!
私が地方紙の整理記者としていちばん苦慮したのは、県庁所在地外のローカルニュース面を担当していた時でした。何せ田舎なもので毎日それほどニュースバリューがある出来事が起こるわけでもありません。
だからといって空白で新聞を発行することは出来ません。なにかしらの記事で紙面を埋める必要があります。しかし、社の経営難による取材記者不足ということもあり、常に白紙の紙面と少ない記事を見比べて頭を抱えていました。
営業部の活動も決して順調ではなかったこともあり紙面広告による穴埋めもままなりません、やむを得ず「どうでもいい記事を、重大記事並みの大きな見出しと大判の写真」という手法で紙面を埋めることが常態となっていました。
この手法の弊害は、いざローカルニュース面に載せる重要な記事があっと時です。たとえば県庁所在地外の大規模なお祭りです。その大きな出来事と、過去の無理やり膨らませたどうでもいい記事、それほど差がない扱いになってしまいます。
「あんなものと同等のニュースバリューなのか!」というお叱りを受けることがありました。
地方紙ゆえのしがらみ、取材記者との見解の相違
地域に密着する地方紙だからこそ、特有の「しがらみ」があります。ローカルスポーツ面を担当していた時にその「しがらみ」に面倒な思いをしたことがあります。取材を担当する記者は取材対象の繋がりが重要なため、ニュースバリューが入れ替わるのを何度も経験しています。
一例を紹介します。
その年、春夏とも甲子園に出場しなかったものの、スカウトから高評価を受けドラフト指名を受け入団が決まった選手(高校生)がいました。地方にとっては一面を飾る大きなニュースです。
ですが、スポーツ担当の記者は甲子園常連校の取材へと行ってしまいましした。かねてから親しくさせて頂いている高校で、入団会見よりもこちらの取材を優先するとのこと。そこで当直であった私が、入団会見の取材代行することに。研修で取材記者としての勉強もしており、これまで数度ほど経験はあったのですが、私はあくまで整理記者です。
県内外他紙の記者、テレビ局の取材陣が多数並ぶ中、おぼつかない手で写真を撮影したのですが、案の定写真の出来はお粗末なものでした。そのぼやけた写真はローカルスポーツ面ではなく、もっと重要度の高い面へと掲載されることになり、撮影者としてずいぶんと恥ずかしい思いをしました。
この取材記者に関しては、別の件でも既存の有力校優先にしており、新興校の活躍を蔑ろにするような記事で苦情が来たことがあります。高校スポーツの負の側面を見た、という思いがありました。
最後に
他にも、ここにはとても書けない話を含めて色々なことがあった整理記者としての日々でした。最終的には会社が経営難を乗り切ることができず、持ち上がった県外他社による買収の話も政治的な理由で頓挫してしまい倒産の憂き目を見ました。ですが、この9年間の記者経験は自身の中で未だに精神的な支柱となっているのだと思っています。