「看護師」は大変なことが多く、病気を抱えてしまう方が多いのも事実です。
精神的な病気を理由に、辞めていく看護師をたくさん見てきました。そして、私もそのうちの一人です。病気を抱えながら、それでも何とか看護師として勤務し10年目を迎えました。同じような境遇の方に何か参考になればと思い、体験談を記事にしていきます。
忙しすぎる1年目!手術室看護師としてフル回転…実はうつ病だった?
私が躁うつ病を発症したのは<看護師3年目の夏>です。ですが、今振り返れば看護師1年目ですでに病気を発症していたのだと思います。うつ病の症状は、口数が減る、だるさ、イライラ、感情の起伏が激しい、と言われています。
そして、症状が出ているのに本人は気づかないケースがあるそうです。私の看護師1年目は手術室看護師でした。大学病院の忙しさは底知れないところ。第三次救急の最後の砦である手術室は都内で大事故があればフル回転。
途方もない残業の日々、遅い時間に帰宅すると復習、翌日には実践。うつ症状は出ていたのかも知れませんが、忙しすぎてそれどころではありません。経験を積むと充実感も増えていきましたが、あまりの激務であったことから心が疲れてしまい、そのまま1年で退職を選択しました。
忙しい日々から開放されて心のゆとりが生まれました。私にひそむ「うつ」は影をひそめたのです。ただ、この時は自分が病気だとは思っていませんでした。
精神看護師として就職!抱えていた爆弾が弾けてしまった
看護師2年目で選んだのは精神看護師です。ここは看護学生時代の実習先、勝手が分かっていました。精神科は今でも偏見を持たれていますが、治療している方々は感情豊かな人ばかり。患者さんから感謝の言葉は頂くことも多く充実の日々でした。
あっという間に1年が過ぎ看護師として3年目を迎えました。精神看護士として仕事をこなせるようになっていくとリーダー業務を任されることになります。チームナーシングを取り入れており医師との連絡係として私が対応していました。新しいチャレンジにまた奮闘する日々。
それは突然やってきました。
脳の中でいきなり何かが弾ける。毛玉のようなモヤモヤが頭の中でグルグルしています。まるで、首都高のような入り組んでいる感覚。
そのモヤモヤは消えること無く、数日すると人格が変わったかのようにイライラ。そして、すぐに戻る。その感情の起伏が異常に早い。
精神看護士だったこともあり何かがおかしいことに気づきました。医師の診断を受け、すぐに入院となります。
ラピッドサイクラーの悪夢
入院後も症状はなかなか改善せず。控えていたリーマス(薬)での治療を開始すると、驚くことに頭のモヤモヤが取れました。それから1ヶ月半の休職を経て復帰します。
私はそう鬱の中でも「ラピッドサイクラー」に分類されます。
ラピッドサイクラーとは?
「そう鬱」と「鬱」の入れ替わる症状。日内変動が激しく、ひどいと喘息発作のように分単位でやってくる。
渋谷の交差点で「一目惚れ」と「失恋」を交互にする感覚、と人には説明しています。この症状が出るとパソコンがフリーズしたかのように動けなくなります。7年たった今でも時折発症する症状です。
あとリチウムでの治療で先生が回避したかったであろう理由の一つが副作用の中毒です。脱水になると血中濃度が高くなり人によっては死に至ります。これは今でも夏に1度は起こします。
そんな症状を抱えながら、なんとか常勤で働いてはいましたが、躁のせいかハイテンションになることが多く苦労しました。恋愛気質になってしまい、ちょっとしたことで心を動かされます。影では「あいつは恋愛で休む」と言われていました。
祖父の在宅介護で再発症!2回目の入院
両親を事故でなくしていた為、祖父が唯一の家族でした。シングルファーザーのように私を育て、看護師にまでしてくれました。祖父は介護が必要な状態で、仕事から帰っては私が在宅で見ていました。
悪くなっていく祖父、そして二重生活でまた症状が再発していきます。親戚が異変に気づき祖父は入院することに、そして私も2回目の入院をすることとなりました。私の退院から数日後、祖父は他界しました。
3回目の入院、そしてパート看護師に
職場だった精神科に復帰するもすぐ退職。その後は、特別養護老人ホーム、療養型と回りましたが、途中でダメになってしまうことがほとんど。薬で睡眠をコントロールしていましたが、オンコールの薬を飲めない状況が致命的でした。3回目の入院になります。
数ヶ月後には退院となりますが、もう正社員として勤めることは難しい。そう考えた私は「パート看護師」を選択します。夜勤は医師から止められていたことも決め手です。
パート看護師になって給料は大幅に下がりました。障がい者として転職を試みましたが、精神疾患はやはり受けが悪いようです。希望したところは全滅です。フルタイム勤務を辞めて週4日だけ働く。障がい者年金の受給が下りたこともあり、今もなんとか生活しています。
最後に
私の看護師としての仕事ぶりは立派なものではありません。出勤すればできることをするだけです。心無いことを言われたことは数え切れません。
それでも何とかやっています。
コツとしては頑張ってはいけません。身体疾患、精神疾患に関わらず「頑張らない」と決めないと、そういう病気を持つ人ほど頑張ってしまうのえす。
病気を隠している方もいるかと思います。周りは看護師ですから薄々分かっているかもしれません。悩みがあれば周りの看護師以外、一般企業に勤める社会人に相談してみてください。看護師と違って知識がない分だけ寛容な気がします。
病気を発病しても、パート看護師になっても、こうやって10年看護師をやっている人間もいます。強い人と思われるかもしれませんが、唯一頑張ったのは<逃げ道を作る>です。
グチを聞いてくれる友人、行きつけのバー、仕事を忘れる趣味。紆余曲折ありましたが、なんとか逃げ道が出来ています。何と言われようと出来ないものはできないし、逃げたいときは逃げる。コツはそんな気がします。
明日も頑張らない。
そうやって日々を過ごしていきます。