私は、看護師をしていました。離職率の高い仕事です。私自身も辞めたい、逃げたいと思ったことは一度や二度ではありません。
しかし、年数がたっていくうちにその感情は変化していきます。
看護師の仕事がつらい…
↓
夢だった仕事…もう少し頑張ろう
↓
仕事に慣れてきた!すごくやりがいを感じる
↓
もっともっと看護師として上を目指す!
初めはつらかった仕事がどんどん好きになっていきます。そして、向上心を持つように。周りからも「変わったよね」と言われるほど仕事にのめりこんでいきました。
この「強い向上心」と「それに耐えられる身体」が合致していたら、今頃はスーパー看護師になれていたのかもしれません。ですが、現在は看護師を辞めて主婦として生活しています。
「頑張りすぎて突発性難聴を発症」
私が看護師を辞めた理由です。
- 仕事に頑張りすぎている方
- 自分のキャパシティを超えて背伸びしている方
「頑張りすぎないでください!無理しないでください!」
私が病気になっていった経過をお話しようと思います。
夢の看護師スタート!そこには不規則勤務が待っていた
夢にまでみていた看護師の仕事。勤務してすぐに早速洗礼を受けます。
「不規則勤務」です。看護師になるからには当然避けては通れない道です。それに夜勤がある仕事は看護師だけではありません。ですが、私が覚悟して以上にそれは負担になっていました。
勤務スケジュール
- 日勤(早出)7:00〜15:30
- 日勤(通常)8:30〜17:00
- 日勤(遅出)10:00〜18:30
- 準夜勤 16:30〜25:00
- 夜勤 24:30〜8:00
働く時間は日によって違います。安定しない不規則な生活を送ることになります。また、残業は1日2時間ずつくらい。定時に帰宅できることはほぼありませんでした。
- 患者が急変
- 緊急の入院患者対応
- 手術対応
ただただ慌ただしく時間に追われていて、自分の業務をこなすのに精一杯でした。配属されたのは脳外科病棟です。急性期と慢性期の患者が入院しています。重症患者も多く、人工呼吸器の管理が必要な方もたくさんいました。そのため、常に気を張っていなければいけません。
- 残業含めて1日10時間勤務
- 不定期な勤務時間
- 常に気を張ってないといけない環境
こんな状況に新人だった私は押しつぶされそうになっていきます。部署異動の希望は出すことは出来ますが、基本は3年ベースです。
- 「いつ辞めようか?」
- 「すぐに辞めたい…」
- 「でも逃げるのも嫌だ!」
毎日葛藤しながら、必死に仕事をこなしていました。帰宅した後はクタクタで何もできない状態。ただ寝るだけ。
やはり、現場では教科書通りにはいかない事が多く、予測ができないことが数多く起こります。そんな時は戸惑ってしまうことが多く、何もできない自分に自信を無くして落ち込んでしまいます。
とにかく、先輩看護師を見習って吸収する。自分にできることを増やしていく。毎日が勉強の日々です。看護学生の頃は「実習が大変だ…」と感じてはいましたが、その比ではありません。
精神的にも疲労感でいっぱい。ただ、負けたくない、逃げたくないの気持ちは常に持っていました。「仕事を頑張りすぎた」ここが最初の一歩だったかも知れません。
段々とやりがいを感じるようになっていく!教えられる身から教える身へ
そんな苦境を3年耐えた先に…
看護師として仕事のやりがいを感じる自分がいました。
人間関係も大きく左右していました。看護師長、先輩看護師に恵まれ、随分と可愛がってもらえました。仕事も沢山教えてもらいました。
看護師特有の人間関係による問題は一切ありません。病棟の雰囲気が良く働きやすい職場でした。そんな中で経験を積んでいった私は、いつしか教えられる身から教える身へと変わっていきます。
- スキル、経験値が増えて嬉しい
- 患者のためになっていることが嬉しい
- 病院のためになっていることが嬉しい
- 後輩を教えることが出来て嬉しい
「もっともっと上を目指す!」
「スーパー看護師になる」
強く願うようになっていきます。
通信教育大学で勉強、ケアマネジャー取得を目指す!
ケアマネージャー
医師、看護師、介護福祉の資格を持ち5年以上働いたら受けられる資格。医療、福祉、社会といったサービスを利用者に合わせて提案する役割
5年経つ頃には看護師として絶頂期を過ごしていました。仕事は慣れている。向上心もある。頼りにもされている。後輩を育てている。
- もっともっと勉強したい
- 患者のためになることを追求したい
- 幅広いスキルを磨きたい
向上心のカタマリでした。私が選んだのはケアマネージャーの資格取得。看護師は医療に携わります。一方でケアマネージャーは暮らし、生活面を支える縁の下の力持ちな存在です。
脳外科病棟は終末期の患者も多いため、医療だけではなく全てをサポートケアしたい、提案できるノウハウを持ちたいと考えるようになりました。実際に看護師がケアマネージャー資格を取得するケースが多々あります。
24:30〜10:00 夜勤、残業
10:00〜10:30 帰宅、食事
10:30〜12:00 勉強、通信
12:00〜17:00 睡眠
17:00〜17:30 雑務
17:30〜24:00 勉強、通信
24:30〜 夜勤
私はこれまで通り働きながら、通信教育大学で勉強を開始しました。1日の睡眠時間は5時間に減らして、その分だけ勉強時間にあてました。
「仕事に、勉強に、頑張りすぎていた」
今見返すとそう思います。
当時はもっともっと上を目指す、それしか頭にはありません。その意識だけで限界を超えていたのかもしれません。
耳が聞こえない…
この頃は、ストレスと言ったものは感じていません。そのために、頑張りたい気持ちとは裏腹に身体は悲鳴をあげていたことに気がつかなかったのです。
不規則な生活を続けながら、研修もあり、勉強もしなくてはいけない状態で、寝不足の日々が続くこともしばしば。普段なら気持ちに余裕を持っていられたものが、仕事中も些細なことでイライラしてしまうことに気づき始めました。
異常なほどイライラしてしまい、自分自信でコントロールができなくなってしまったのです。何か変だと思っていましたが、「疲れているのだろう…」くらいにしか思っていませんでした。そんなある日、起床してテレビをつけると耳に違和感を感じました。
「片耳が聞こえない…」
受話器を耳に当てて確認してみましたが、片耳はこもったような音がします。明瞭な聴えではありません。「やばいかも…」鏡は見ていませんが表情は青ざていたはず。すぐに病院に。
頑張りすぎて突発性難聴を発症
「突発性難聴」
医師から告げられた病名です。入院治療が必要だと言われ、それに従うことになりました。
突発性難聴
文字どおり…急に耳が聞こえなくなる症状
「え!さっきまで聞こえたのに…聞こえないんだけど?」というくらい急に起きる。発症後はすぐに治療が必要で、2週間を経過すると治らない可能性が高くなる。主にストレスが原因とされるが、はっきりとは原因が分かっていない。
「自分自身でストレスを感じていなくても、身体がストレスを感じている場合があります」は医師の言葉。
確かに思い当たる節はあります。
- 慣れてきたとはいえ大変な仕事であることには変わりない
- ケアマネージャー勉強との両立で疲労困憊
- 慢性的な睡眠不足
2週間入院をして様々な治療を行いました。
<突発性難聴の治療>
- ステロイドの注射
- ビタミン剤の注射
- 高圧酸素療法
しかし、効果はありません。聴力はほんのわずか回復した程度。以前のような聞こえには戻りませんでした。経過が不変だったので、セカンドオピニオンも行いました。前病院では行なっていなかった、星状神経ブロックを2週間行うことになりました。
この治療法は頚部にある交感神経に局所麻酔薬を注入して、一時的にブロックをすることで、血流の流れを良くするという方法です。簡単に言えば、耳の血流を良くして聴えを改善しましょうという目的で行われます。
この治療のおかげで聴力の改善は見られました。以前のような聴えにはやはり戻りませんでしたが、生活していく上での不便はない程度になっています。
仕事復帰も…苦難が続く
いつまでも休んでいるわけにはいきません。症状がマシになったことで、仕事へと復帰をしました。勉強はいったん置いて、まずは仕事に集中をします。
耳の聞こえが悪くなったことで、仕事上での大きな問題にはなりませんでした。ただ、患側の耳鳴りがひどいのです。「キーン」という音が常になるイメージ。次第に不眠とイライラに悩まされるようになります。
不規則な勤務体系に加えて、この症状がダメージとなり、どんどん積み重なっていきます。睡眠薬、安定剤を処方してもらい、ごまかしながら日常生活を送ることに。
難聴が理由で退職
復帰はしたものの1ヶ月で限界がきました。
「フォローをするので辞めないで頑張ろう」
と看護師長は言ってくれました。また、上司や同僚もみんな助けてくれました。本当に人間関係には恵まれていました。続けたい、このまま看護師として上を目指したい。
そう思っていましたが・・・身体が言うことを効きません。起き上がれないほどの回転性めまいと吐き気。
「あーやっぱりもう無理だ、限界だ」
私の看護師生活は5年半で終わりを迎えました。
最後に
看護師の仕事が嫌になった訳ではありません。憧れの職業でしたし、やり甲斐のあるお仕事でしたし、出来ることなら一生涯携わって行きたいと思っていました。
もっともっと上を目指したい、スーパー看護師になりたいとも思っていました。目指す看護師像になっている姿を想像することもあります。ただ、身体を壊してまでやるべきものでは無いことも分かっています。
私は頑張りすぎたのかもしれません。情熱だけが先走りすぎて、身体がついていかなかっただけのこと。
- 看護師として働いたこと
- 脳外科病棟で働いたこと
- 看護師として上を目指したこと
- ケアマネージャー資格を取得するため身を削ったこと
どれも後悔はしていません。現在は子育ての途中です。落ち着いたら頑張りすぎないように、病気と上手く付き合いながら、もう一度看護師として復帰したいと思っております。
「仕事で無理している方へ…無理だけは絶対にしないでくださいね!」