「臨床検査技師」と聞いて仕事内容が分かる方はごく少数だと思います。
臨床検査技師
診療に必要なデータを分析し医師に提供する仕事。国家資格が必要。
国家資格が必要、そして試験を受けるには少なくとも専門学校で3年間勉強が必要です。そう聞くと「高校卒業の時だったら受けていた」「今さら手遅れだ」と興味があってもそれだけで終わる方が多いでしょう。
私は高校卒業時にはこの仕事を知らず、気づけばふつうの企業のOLになっていました。私が臨床検査技師を目指したのは25歳、そして実際に職種についたのが30歳手前の29歳です。
- 社会人だけど臨床検査技師を目指したい
- 一般職を辞めて医療職に進んでみたい
そんな方が前向きになるように私の体験談をお話させて頂きます。
もともと普通のOLでした!
私は女子大学(4年制)卒業後、一般企業に勤務します。いわゆる「普通のOL」でした。
と言っても、理系の学部(専攻は化学)でしたので、研究所や化学メーカーで化学の知識を活かた仕事をしたいと希望していたのですが、バブル崩壊後の就職氷河期と言われた時代。100社以上の会社を受けたものの、希望の職種にはつくことは出来ず、それでも、健康食品会社の商品開発という仕事に就くことが出来ました。
上司や仲間にも恵まれて、楽しくやり甲斐のある仕事でもありました。でも、「何かが違う…」そう思い始めたのは、就職して2年ほどたった時のことです。私は根っからの理系人間。商品開発と言っても研究分野ではなく、主な仕事はマーケティングです。やり甲斐はあるけれど、自分の能力に限界があることは、すぐに分かりました。
入社2年目には、「転職したい」と思うようになります。ですが、時代は氷河期。転職は簡単ではありません。その上、それを繰り返すだけでは段々と年齢がネックになっていくだろう。そういう心配もあり、悶々とした気持ちを抱えながら目の前の仕事をこなす日々でした。
医療従事者になる!と決めたきっかけ
そんな私に光を与えてくれたのは、社内の回覧で回ってきた雑誌の些細な記事でした。「40代だけど看護師を目指す」と、看護大学に入学した元キャスターの石井苗子氏の記事が載っていたのです。
大学に入るのは、せいぜい一浪か二浪、医学部や大学院だけは社会人になっても入学する人がいる、程度の認識しかなかった私には「40代で大学!?」はすごい衝撃的なこと。
その記事を読んだ当時は25歳。
- 「40代で大学生になれるなら、私はまだまだ今からでも資格が取れる!」
- 「そして資格さえあれば、むしろ社会人経験は財産になる」
- 「年齢はネックになるどころか経験の証として転職でも有利になるはず!」
と確信したのです。
もともと医療系には興味があり、卒論も薬の合成方法というものを研究したほど。その日に本屋で「医療従事者になるには」という本を買い、医療に関わる資格がたくさんあるということ、その資格を取得するための方法などが書かれていました。
日々それを読んでは「医療職になるにはどうしたらいい?」を調べる毎日が続きます。
臨床検査技師に決めた理由
漠然と「医療職」を目指すことを決めましたが、次に考えるべきは「どの職種にするか?」でした。本を読むまでは医師、看護師、薬剤師くらいしかピンときませんでしたが、たくさんの医療職種類があることが分かります。
患者のメンタルケアで違った能力が必要な看護師は早々に除外。もともと専攻していた化学に近いことから、私が絞った資格は、「臨床検査技師」「放射線技師」「薬剤師」の3つでした。
そして、一番患者に近い場所で化学を活かすことが出来る検査の仕事。これが過去の実績を活かせると思い、最終的に「臨床検査技師」になることを決めます。
社会人入試を目指す
「臨床検査技師」になるためには、3年制の専門学校や短期大学を普通に受験するよりも、編入制度のある4年制大学の3年次に編入するのが最短で卒業できることが分かりました。
臨床検査技師になるまでの期間
- 4年制大学⇛4年間
- 専門学校⇛3年間
- 3年生として編入⇛2年間
編入制度がある大学は、社会人入試枠があります。試験科目も一般入試より少なかったり論文や英語のみだったりと、仕事をしながら受験する私には一番良い方法でもあったのです。
たまたま我が家の近くに、医療系や心理学系大学編入の実績のある社会人入試専門の予備校があることを知り、その塾に通うことを決めました。予備校も受験する大学も決め、資料も願書も取り寄せた上で、初めて両親に「大学に編入したい」と打ち明けました。
最初、両親はとても驚いていました。
それもそのはず。大学まで卒業させてやっと就職したと思ったら、わずか3年ほどで大学に入り直したい、なんて言われたのですから。でも、両親は意外にあっさり、「まぁ、大学院に行くと思えばね」と許してくれました。あとはやるだけ!
予備校では論文と英語を選択し、仕事帰りに週2回予備校に通う日々が始まりました。受験ではなく内部進学で大学に進学した私には、論文は一からの勉強でしたが、同じく医療系の大学編入を目指す仲間とのグループワークがあったり、とても楽しいものでした。
そして、論文と英語の受験を経て、某大学の保健学部臨床検査技術学科の3年次編入の合格通知をもらうことが出来ました。そして入社4年目の冬、大学合格を理由に、職場に退職願を出しました。この時、私は26歳でした。
晴れて大学に編入・・・2年で専門科目を猛勉強
現役大学生より6歳上の年齢で、大学3年生として入学しました。入学式より前に編入生は集められ、10日間みっちり補習授業からスタート。編入生は全部で13名。そのうちのほとんどは短大卒で3年生編入なので、現役生と同じ年。私は編入生の中で一番年上、しかも数少ない社会人経験者でした。
ですが、編入仲間で年齢を気にする人はおらず、普通の同級生として楽しく過ごせました。本来なら基礎科目は2年生のうちに終了、3年生は実習メインの学年です。我々編入生は、学科と基礎実習を1年でやらなければなりません。勉強は想像以上に過酷でした。
さらに4年生になると、現役生は国家試験対策と卒論がメインです。ですが、私たち編入生は、臨床実習と病院実習、さらに国家試験対策に卒論と、さらに過酷な日々が待っていました。それでも、現役の大学時代より勉強は苦じゃありません。当たり前のようにレールに乗って進学した大学ではなく、自ら仕事を辞めてまで選んだ道。しかも、憧れの医療系の勉強。これは、過酷な中にも私にとってはとても楽しいものでした。
最後の卒業試験はほとんどが落ちてしまい、合格したのは現役生20名のみでした。再試験に落ちると国家試験を受けることが出来ません。私もなんとか再試験で合格し、国家試験に臨むことが出来ました。
国家試験に合格するには、全体の70%の正解率が必要です。そして国家試験の合格率は80%ほどだったと思います。勉強しなければ受かることはないけれど、ちゃんと勉強さえしていれば誰もが合格する数字。そして、国家試験は無事に合格!私は晴れて、臨床検査技師の資格を得ることが出来ました。29歳の春でした。
回り道をして!大学病院に就職
臨床検査技師として、花形の就職先はやはり大病院です。
大学病院、総合病院がそれに当たります。周りは皆、就職活動を行なっていました。しかし、私は29歳という年齢がネックになるかと思い、新卒対象の就職活動はしませんでした。
大学側は心配し推薦や紹介先を探してくれましたが、推薦で受けたところは予想通り落ちました。そこで私は回り道をしながら大病院への就職を狙います。まず、卒業後は派遣会社に登録し検診補助のアルバイトをしながら求人募集を探していました。
そのうち、大学病院に勤める知り合いが「欠員募集をやるそうだから受けないか?」と教えてくれました。どこか別の場所で就職してしまえば、欠員が出た時に面接を受けるのは困難。そのために「待ち」の姿勢を取ったことが吉と出ました。
「学んできた化学、一般企業で働いた知識経験も活かせる臨床検査技師になりたい」と面接では話しました。それらの過去が無かったら、臨床検査技師になった私はいなかったからです。その訴えが聞いたかどうかはわかりませんが、熱意は伝わったようです。晴れて内定通知をもらい、6月1日入職という形で、大学病院での臨床検査技師としての仕事が始まりました。
大学病院での臨床検査技師の仕事
大学病院での配属先は、希望通り生理機能検査室でした。臨床検査技師には大きく3つの業務に分かれています。
- 生理機能検査…超音波検査、心電図検査など、患者様に直接行う検査
- 検体検査…血液や尿、喀痰、便など、患者様から採取した検体を調べる検査
- 病理検査…手術などで切除した臓器などを特殊な液に染めて、病理医が癌の種類や進行度などを診断するための標本を作成する病理医の補助をする検査
私は生理機能検査室で、心電図検査、超音波検査を中心に、聴力、呼吸機能、脳波検査などの業務に就きました。最初は全て上司や先輩について教わり業務を行います。現場で上司にアドバイスをもらいながら行うことも多々あります。それを不安がったり嫌がったりする患者様も少なくありません。しょうがないと思いつつも、それを見るたびについ遠慮がちになってしまう私もいました。
でも、それを乗り越えて実践を積まないと、一人前の臨床検査技師にはなれないのです。そういった苦難を乗り越え、大学病院の仕事に就いて5年の月日が経っていました。
退職後はフリーの検査技師に
大学病院では当然、重症患者の検査も行います。また、研究や学会発表などにも積極的に参加する風潮にあります。
しかし、大学病院で5年働いて、私が本当にやりたい検査の仕事は、ターミナルケア(終末期医療、緩和医療)や学会発表ではなく、プライマリーケア(初期医療)であることに気づきました。重篤な患者様の検査や学会発表ではなく、人間ドックや検診者を対象とした病気の早期発見、その手助けをしたい、というのが私のやりたいことだと思ったのです。
検診に来たら早期の乳がんが見つかった。簡単な手術だけで助かった、と次の年も元気にまた検診に来てくれる。高血圧が続いてるから心臓疾患はないか超音波で調べてみる、そういった患者と会話をしながら、時にはオススメの食事について、乳がんの自己診断法について教えながらだったり、全く関係ない家族やペットの話をしたり。そんな風に患者様と接しながら仕事がしたい。元気な患者様の身体の異変を早期に発見したい。予防医学に携わりたい。
「これが私の臨床検査技師としての役目」だと確信したのです。
そのため大学病院を退職し、個人契約で検診センターや個人のクリニック、検診業務の派遣会社に登録等してフリーの臨床検査技師として実績を積んでいくことになります。それから10年以上の月日が経ち現在に至ります。OLの仕事を4年で辞め、大学病院で5年、フリーで10年近く。臨床検査技師になって15年以上経ちますが、あの時の選択は間違っておらず、これからも臨床検査技師であり続けたい、私の天職である。そう思っています。
結婚・出産後は、乳がんや子宮がんの現状や初期症状、検査について、自己診断法についてなどの講習や、ベビーマッサージを開業していると友人とコラボして、赤ちゃんの救命救急法についての講習を行ったりもしています。それらは臨床検査技師としては異色かもしれませんが、専門知識を活かした仕事です。
あの「科捜研の女」で沢口靖子演じる榊マリコも、ストーリー上、臨床検査技師の資格を持っています。年齢はネックにも足枷にもなりません。むしろ経験値は財産であり武器になります。
最後に
医療系のドラマを見ていても何故か臨床検査技師が出てくるシーンは少ないです。大抵、外科医かナースがメインのドラマばかり。そのせいか、臨床検査技師という資格は認知度がとても低いです。ですが、心電図検査や採血、超音波検査などをこなしているのは「臨床検査技師」です。縁の下の力持ちとして医療を支えるのがこの職種です。
私は臨床検査技師にやり甲斐と誇りを持っています。なぜなら、医者より先に病気や病変を見つけることが多い仕事であり、医療には欠かせない存在だからです。そして、何歳であっても遅いということはありません。ぜひ、多くの人に知ってもらいたい、挑戦してもらいたいと思っています。

臨床検査技師歴15年以上、ベテランの域に入ってきました。40代後半ですが気力は衰えていません。いろいろなことにチャレンジしていきます。