私は病院での調理を2年半勤めていました。入院患者向けに朝、昼、夕の3食分を調理します。ただ、病院ということもあり患者によっては、アレルギー、刻み、軟飯、おかゆといったような細かい指示もありました。
覚えることはたくさん、でも仕事自体は充実していました。直接患者と接することはありませんでしたが、退院のためのサポートができる充実感がありました。
しかし…それは仕事だけの話。
人間関係にはずっとずっと悩まされてきました。
- 人によって態度を変える
- 気分屋
誰しもが「嫌だな…」と感じる性格では無いでしょうか。
人によって態度を変える50歳女性
時間厳守なので、とにかく時間配分を考えながら取り組みます。また、自分の担当が終わったからといってゆっくり休むなんて事はありません。他の人のアシスタントをしたり、食事が出されるまでは厨房は戦場です。
慣れてくると全体の流れも分かるようになり、自分が次どう動けば良いのかが判断が出来るようになります。仕事に対しては問題がある訳ではないですが、慣れてくると一人一人の人間性も見えてきます。
職員の中に50歳前後の女性がいました。最初の頃は優しく接してくれましたが、だんだんと、とんでもない気分屋であることが分かります。言い方がひどく精神的にダメージを受けます。
また、人によって態度を変える人物でもありました。周りを見て自分より先輩、あるいは偉い人だとペコペコ。後輩となると強く出て八つ当たり。私にも強くあたってきますので「あぁこの人はどうしようもない人だな」とそのたび心の中で思うようになります。
なにかあれば後輩を疑う!それが先輩だと分かると…
「何度言ったら分かるの?ちゃんと確認してよね」はその50歳女性から出た言葉。どうやら私に向けられています。
「え?なんのこと?」呆気にとられてしまいます。どうやら盛り付けのやり方が間違えていたようです。私がやったものではありません。
「ごめん!私が間違えてしまった」は5年目になるベテラン。この中では一番の先輩です。「そうだったんですね、大丈夫ですよ。こちらこそすいません」と態度を180度変えています。疑いをかけて罵声をあびせた私には謝罪すらありませんでした。
「何かありましたか?」「別に…」
車での配膳を担当することがありました。基本は2名体制で交代で選ばれます。その日は私と50歳女性。目的地についてもドカッと座ったまま。車の助手席を動かず、私の仕事が終わるのをただただ待っている状況です。本来のマニュアルでは二人で仕事をこなすもの、それなのに動くのは私だけ。
移動の間も一言も話さず気まずい雰囲気です。「何かありましたか?」と尋ねると、「別に」の一言のみ。どっかの女優かよ…。
これは私だけでなく、下の人間に対しては「ぐずぐすしないで、早くしてよね」「チッ」と舌打ち。本当にどうしようもない人間でした。
異動の話が出てやっと開放される…と思ったら?!
それから1年半が経ち異動の話がありました。自宅からも近く条件も悪くは無かったため迷わず異動を決意しました。
「やっとあの人から開放される」私は安堵しました。ですが、その考えは甘かったです。次の職場にも癖がある人がいたのです。
気分屋の栄養士!45歳女性
その人は、他の事業所でも有名な人。「厄介者」のレッテルを貼られていました。その時の気分により優しかったり、強くあたってきたりと、気性の激しい人でした。
周りで「その栄養士との付き合い方」のノウハウが出回るほどの人物。機嫌が良い時は、本当に天使のごとく優しく、機嫌が悪いと悪魔のごとく気性が荒い。
機嫌が良いとき
- 「冷凍庫にアイスクリームがあるから食べていいよ」
- 「今日は早めに片付けしていいよ」
- 「美味しいケーキを買ってきたから一緒にたべましょ」
こんな言葉をかけてくれます。
機嫌が悪いとき
- 「おはようございます」と挨拶するも無視
- 独り言のようにブツブツ文句
- 壊したものを弁償要求(しかも違うのに)
機嫌が悪いとボソボソと一人の世界に入ってしまいます。それだけなら良いのですが、怒りが急に湧いてきて、とんでもない悪態をついてきます。
なぜ「気分屋」「態度を変える人が多い」のか?
人間関係で苦しんできましたが、異動した先にも同じような人がいてまた苦しむ。「なんでこんな人がいるの?」と悩むことがしばしば。
- 女性職場であること
- 調理という狭い空間での仕事
- 女性特有の更年期障害
これらが原因なのかと考えました。女性が多いと、やはり嫌み、妬み、悪口等はあると思います。男性職員が居る時と居ない時の態度が違う人もいます。この人たちのことを理解しようと思えば思うほど、泥沼に入っていきます。
「もう振り回されるの嫌だな…」
退職、転職、事務職へ転身
このまま自分はここで働き続けて行けるのだろうか、大丈夫だろうかと誰にも相談出来ずに独りで悩むことも多々ありました。
- 「このまま我慢して続けるか?」
- 「辞めて次を探すか?」
- 「仕事を変えても人間関係の悩みは必ず存在する」
色々なことが頭の中でグルグルします。何も決まらないまま「なぁなぁ」で1年が過ぎます。それを1つの区切りとして退職、そして転職を目指します。このまま続けても何も見えないのが理由です。
ハローワークでの求職活動
私が選んだのはハローワークを使うこと。その頃は求職者が多く、良い条件には殺到する状況でした。必然と競争率は高くなります。
なかなか自分の希望通りの職が見つからず苦労していましたが、ある時目に留まった仕事が事務職でした。もともと事務職の経験もありましたので、その経験が活かせたらと思い早速面接を受けました。
面接の際には、仕事内容や現場を丁寧に説明してくれて、非常に好印象でした。面接担当が「この会社はアットホームだから」とその言葉が大変印象的でした。
- 「こんな良い雰囲気の会社だから人も良いのでは」
- 「気分屋、態度を変える人、そんなのはいないのかもしれない」
ここに入社したい、心からそう感じました。
応募人数は多数、あとは神に祈るしかありません。数日すると電話があり見事合格。あのつらい職場、人間関係から開放された瞬間です。
最後に
今現在も変わらず働いていますが、本当に環境に恵まれた会社だと感じています。社長とたまに世間話をした際には、みんなに声を掛けてくださり「仕事はどうかな?」と気にかけてくれます。
- 気分屋
- 態度を変える人
この良い環境では絶対にいませんし、仮にいたら即刻追い出されると思います。私は2年半の間苦しみましたが、こういう世界があるのであれば、もっと早く行動すべきだったと思っています。